「ジャーナリング」と「日記」、
何が違うの?
そんな質問をいただきました。
その目的やスタイルを比べてみると、
意外と違いがあるように感じられます。

今回は、あくまでもわたしの考えとして、
「ジャーナリングと日記の違い」
について整理してみました。
日記はジャーナリングに含まれることが多い

まず、大前提として、
「これは絶対にジャーナリングで、
日記ではない」
「これは日記であって、
ジャーナリングではない」というように、
白黒はっきり区別できるものではありません。
ジャーナリングに関しても、
実は共通認識となるはっきりした定義が
あるわけではなく、
人によって考え方が
異なっています。
【大前提】

ジャーナリングの範囲はとても広く、
一部の日記もジャーナリングに
含まれる場合があります。
でも、
ただ”日々の出来事を淡々と記録するだけ”
というスタイルであれば、
必ずしもジャーナリングとは
呼べないかもしれません。
それぞれの「目的」を考えてみると
日記の目的:出来事の記録

日記は、主に
「今日どんな出来事があったか」
「いつ、どこで、何が起こったか」を
1日の終わりにふりかえり、
事実を残すために書く人が多いです。
特徴
- その日の出来事を時系列で記録する
- 後で読んだときに、その日の状況を思い出せるようにする
- 感情を記すこともあるが、あくまで記録が中心になりやすい
ジャーナリングの目的:思考や感情の整理

ジャーナリングは
「自分の思考や感情を言語化する」
ことを指します。
特徴
- その日の出来事以外にも、過去や未来のことなど何を書いても良い
- 時系列や事実の正確さよりも、頭の中にあるものを外に出すことを重視
- 書く内容や順番も自由で、感情やアイディアを深堀りすることが多い
書く内容も、アプローチも自由度が違う
日記は「今日は何があったか」が中心

日記は出来事ベースで書き、
ふりかえって
「この日はこんなことがあったな」と
思い出すための手段になることが
多いです。
もちろん、
その日の感想や感情を加える人もいますが、
大半は事実の記録がメインになりやすいです。
ジャーナリングは「思考の流れを追うスタイル」

ジャーナリングでは、
書き始めるテーマがその日の出来事に
限りません。
過去の経験や未来の理想、
全く関係ない空想を自由に
書き出すことができます。
例えば、
今日は雨だったけれど、
なぜか小学校時代を思い出した
⬇️
そのとき感じた悔しさを
ふりかえってみる
⬇️
これからの生き方に活かそう!
など、書き手の考えが自由に
広がっていきます。
どちらが良いよりも、書くことが大切
区分に意味はあまりない

結局のところ、
「今自分が書いているものは
ジャーナリングか、日記か?」と
厳密に分けようとしても、
意味はありません。
書いているうちに、
いつの間にか日記的な記録に
なっていることもあれば、
思考や感情の整理に没頭して、
ジャーナリング的な内容に
なっていることもあります。
それで、いいのです。
ポジティブな効果が得られるなら呼び方は何でもいい

書くことによって得られるメリット
例えば、
- 自分の気持ちや価値観を再確認できる
- 昨日の出来事をふりかえって自己理解ができる
- モヤモヤやストレスを吐き出してスッキリする
などが得られるなら、
それが日記でもジャーナリングでも、
結果として
「自分にとって大切な書く習慣」に
なっていることが重要です。
まとめ📒🖊️

日記
・日々の出来事や事実の記録が目的になりやすい
・時系列でふりかえりやすい形を重視
・事後的に「こんなことがあった」と
整理するスタイル
ジャーナリング
- 思考や感情の整理、自己理解が目的になりやすい
- 書くテーマや内容が自由で、時系列も関係ない
- 過去・未来・空想など何でもOK
ただし、両者の間に明確な線引きはなく、
書く人の意図や目的次第で形が変わる。
「今日は日記を書くつもりだったけれど、
気がつけば思考の深堀りをしていて
ジャーナリングみたいになっていた」
「ジャーナリングのつもりで書き始めたけど、
今日の出来事をダラダラ書いていただけ」
どちらでも、書くこと自体に価値があります。
最終的には、呼び方や分類よりも、
自分にとって心地よく、
役に立つ書き方を見つけることが
大切です。
日記でもジャーナリングでも、
書く行為がポジティブな効果をも
たらしているなら、
それは十分に”自分に合った書き方”です。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました

ふう


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